

宇佐市ホームページから
相撲界で前人未到の大記録、69連勝で知られる昭和の大横綱「双葉山」は、明治45(1912)年2月9日、現在の大分県宇佐市下庄に生まれました。
小学生時代の双葉山は、成績優秀で、足も速く泳ぎも上手で、体は大きいがけんかやイタズラをしない、そして意外な事に相撲が苦手でした。しかし、父親の船の仕事を手伝うことで強靱な足腰とバランス感覚を身につけ、それが横綱への土台となったといわれます。
幼少の頃、右目を失明する事故に遭遇、11歳の頃には父親の家業(海運業)の手伝いをする際、右手小指の一部をウィンチに巻き込みつぶしてしまうという二つの大きなハンディは、あまり知られていません。そのハンディにも関わらず、だれにも悟られぬよう人一倍稽古に励みつくった、69連勝という大記録でした。
引退後は、時津風親方として弟子の指導にあたり、相撲協会の理事長としても、さまざまな改革に取り組み、その活動は現在の相撲界に大きな功績として引き継がれています。
「われ未だ木鶏たりえず」
70連勝をかけて臨んだ昭和14(1939)年1月場所4日目、約3年間勝ち続けていた双葉山は、ついに安芸ノ海によって黒星を喫します。双葉山はいつもと変わることなく、土俵に一礼を して東の花道を下がっていきましたが、その日の夜、知人に宛てて打った電報がこの言葉であります。
「木鶏」とは中国の故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じることのない最強の状態にある闘鶏をさしています。無心の境地に至れなかった自分を戒めた双葉山でしたが、相撲道に対する更なる精進を重ね、連勝記録がストップした後も3度の全勝優勝を含む7度もの優勝を数えることとなります。
大分県中津市の福沢諭吉先生関係の写真
提供は元永重俊さん(幹事)
退職者の会大分県支部協議会ホームページには、大分県に縁のある歴史的偉人をアップしています。今回二回目は、中津市の福沢諭吉先生にまつわる写真です。
出身地中津市の公式ホームページによりますと「福沢諭吉は、1835(天保5)年に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福沢百助の次男として生まれました。1歳6か月の時父と死別し、母子6人で中
津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14,5歳より儒学者白石照山の塾に入りました。1854(安政元)年、19歳のとき蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励み
ました。
1858(安政5)年には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開きました。これが慶應義塾大学のはじまりです。西洋の語学力と知識をたくわえたいと考えた諭吉は、1860(万延元)年「咸臨丸」(かんりんまる)に乗り込み渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めました。その後『西洋事情』『学問のすゝめ』「文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えました。 (中津市ホームページより)





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